私の体に異変が起きたのは、3年前のことでした。最初は、ただの肩こりだと思っていました。しかし、その痛みは次第に背中、腰、そして両手足へと、まるで火事が燃え広がるように広がっていきました。朝、目が覚めると、体中がコンクリートで固められたようにこわばり、起き上がるまでに長い時間がかかります。インフルエンザの時の関節痛が、毎日、24時間続いているような感覚でした。それに加えて、常に頭に霧がかかったような「ブレインフォグ」と、いくら寝ても取れない鉛のような疲労感。私は、近所の整形外科を皮切りに、まさに「ドクターショッピング」の迷路に迷い込みました。整形外科では、「レントゲンに異常はない。ストレートネックのせいでしょう」。内科では、「血液検査はすべて正常です。自律神経失調症かもしれませんね」。脳神経外科では、「脳に異常はありません。ストレスでしょう」。どの医師も、私の訴える激しい痛みを真剣に受け止めてはくれませんでした。検査結果という「客観的な証拠」がない私の痛みは、ただの「気のせい」や「怠け」として扱われ、私は次第に、自分の感覚がおかしいのではないか、と自分自身を責めるようになりました。仕事も休みがちになり、友人との約束もドタキャンする毎日。誰にも理解されない痛みを抱え、私は社会から孤立していきました。転機が訪れたのは、痛み始めてから2年が過ぎた頃でした。藁にもすがる思いで、インターネットで自分の症状を検索していた時、「線維筋痛症」という病名にたどり着いたのです。そこに書かれていた症状のリストは、驚くほど、私の状態と一致していました。そして、「専門はリウマチ科」という一文を見つけ、私は最後の望みをかけて、大学病院のリウマチ・膠原病内科の予約を取りました。初診の日、私の話をじっくりと聞いたリウマチ専門医は、全身の圧痛点を丁寧に診察した後、静かにこう言いました。「大変でしたね。これは、線維筋痛症で間違いないでしょう」。その瞬間、私は、長くて暗いトンネルの先にかすかな光が見えたような気がして、診察室で涙が止まらなくなりました。病名がついたからといって、痛みが消えるわけではありません。しかし、「あなたの痛みは、病気によるものです」と認めてもらえたこと。それが、私にとって、病気と向き合うための、何よりも大きな一歩となったのです。
私が線維筋痛症と診断されるまでの長い道のり