高齢者福祉や介護の現場において、認知症の周辺症状や不意のパニックによって利用者が職員を噛んでしまうという事故は、残念ながら一定の割合で発生します。このような職業上の負傷に際して、多くの介護職員は「利用者がやったことだから」「大事にしたくない」と、自分の傷を過小評価してしまいがちです。しかし、介護現場での噛み傷こそ、迅速に外科を受診し、適切なフローで対応すべき事案です。まず、噛まれた直後に行うべきは、水道の流水で五分間以上、患部を徹底的に洗うことです。この応急処置を済ませた後、速やかに施設長へ報告し、労災の手続きを視野に入れながら外科を受診してください。なぜ外科なのかと言えば、高齢者の口腔内は嚥下機能の低下や自浄作用の減退により、非常に毒性の強い細菌が繁殖していることが多いためです。軽微な赤みであっても、数時間後にはリンパ管炎を引き起こし、腕全体が赤く腫れ上がるケースが多々あります。受診の際、医師に伝えるべき重要な事項は、いつ噛まれたかという時間、そして相手が認知症などの持病で定期的に歯科受診ができているか、さらに自分自身の感染症の既往です。また、相手の利用者の血液検査の結果(B型肝炎などの有無)が分かれば、それを持参することも極めて重要です。病院では傷の処置だけでなく、HBワクチンや免疫グロブリンの投与が必要かどうかの判断も行われます。これは、職員の健康を守るだけでなく、施設全体の安全管理としても不可欠なステップです。もし、適切な受診を怠って感染症を発症してしまった場合、その後の長期欠勤は現場への負担をさらに増大させることになります。「自分さえ我慢すれば」という考えを捨て、医療従事者としての自覚を持ち、科学的に自分の身を守る行動を取ってください。外科での診断書は労災申請に不可欠ですし、何よりプロの目で「この傷は大丈夫だ」と言ってもらうことが、精神的なショックからの回復にも大きく寄与します。介護の仕事は、自分自身の心身が健康であってこそ継続できる尊いものです。噛み付き事故というアクシデントを個人的な不注意として片付けるのではなく、組織としての受診フローを確立し、初期段階で外科的ケアを受ける習慣を根付かせることが、質の高いケアを維持するための基盤となります。